(10/6/8火曜分)
夜は、白石市医師会学術講演会(於:ホテルパレスリゾート白石蔵王)『
中心血圧からみた高血圧の病態と降圧治療』(CC:9医療情報,74高血圧症,82生活習慣)に行ってきた。
講演者の東北大学大学院 医学系研究科 中心血圧研究講座 准教授:橋本 潤一郎
先生、有り難うございました。座長を務めた内方医院 院長の佐藤 秀一 先生、お世話になりました。
血圧とは、動脈血管内腔にかかる圧力であるが、心臓からの投射波と末梢からの反射波が合成されたものなのですね。はじめて知りました。中心血圧とは心臓の出口での血圧と定義され、センサーで測定した、末梢の橈骨動脈の圧波形より計算で推定でき、測定器も開発市販されているとのこと。
中心血圧計はまだ高価なそうですが。この中心血圧の高低が、心血管イベントの発症に相関していて、100年前から進歩がなかった従来の普通の上腕血圧(マンシェットを上腕に巻いて加圧し、減圧時のコロトコフ音を聴診して、収縮期血圧・拡張期血圧・脈圧を測定する方法)では予後の予測には向いていないそうです。当院でも中心血圧計を導入したいものです。
最近ARBの配合剤が続々と新発売されているが、橋本潤一郎先生のここだけの話し、利尿剤よりカルシウム拮抗剤との配合剤の方が、理にかなっているそうです。
講演会で1.5単位いただき、その後の情報交換会は欠席させてもらいました。
(10/6/10木曜分)
午後は休診にして
宮城県白石高等学校の内科健診を行ってきた。本日は3回目の健診で、今年度はこれにて終了。午後2時より、こまつ外科内科クリニックの院長先生と手分けして、私は2年生1〜7クラスの男子を担当した。
宮城県白石高等学校とは、白高(白石高校)と白女(白石女子高校)が今年度より合併して、男女共学校となったものだ。同行した当院看護師さんの1名は、白女(衛生看護科)の出身なので、内科健診おわった5時すぎに、興味津々と、皆であちこち見て回った。
午後休診を利用して、ダスキンさんにたのんで床ワックス塗り直しが完了した当院に帰着したのは、17時22分となった(タイムカードの打刻時刻)。
タイムカードとは別に、看護師さんには、県教育委員会より一人一コマ(約3時間)4800円の報酬がでるそうだ。
(10/6/14月曜分)
昼休み時には、持田製薬さんの純度99%のEPA製剤「
エパデールS300・600・900」の勉強会があった。昼休みとはいえ、午前の部が忙しく、二階の職員休憩室に皆が集まったのは13時50分頃、仙台営業所長さんも同行した、久保木さんの力の入った講演で、プロジェクターによるパワーポイントを使ったプレゼンあり、途中の動画も挟んで、私の質疑応答などで、おわったのは14時35分頃となった。
EPA(イコサペント酸)とAA(アラキドン酸)は、ともに生体内で合成できない必須脂肪酸であって、動脈硬化性疾患を防ぐには、そのバランスEPA/AA比が重要で、EPAをなるべく多く摂取した方がよいのですね。EPA/AA比は、血中の「脂肪酸分画」を測ったら、6ヶ月に1回検査できるそうです。今では保険もとおるようになり、450点=4500円だそうです。
しかし、青魚などからEPAを充分量を摂取しようとすると、青魚を大量に食することになり、摂取カロリーが多くなって(プラス約1500Kカロリー)しまう。純度99%のエパデールでは、それが22Kカロリーで済むと言う訳で、大変な優れ物です。
おわってから、皆で仙台「梅の花」の「華弁当」をいただいた。結局、午後の診療は、午後3時からとなった。
なお、今年中にOTC薬としても、一般向けに市販の予定だそうです。
(10/6/17木曜分)
歯根嚢胞の疼痛は自己穿刺除圧で解決できたので、夜は、木曜会がある割烹大上亭にいけた。今回は、4月に白石市に開業された、堤栄克(えいかつ)先生と堤和泉(いずみ)先生ご夫妻を迎えての木曜会である。お父様の堤栄昭先生は、参加されなかった。堤栄克先生の話しでは、もう午後4時には、出来上がっていたらしい。幹事の水野内科クリニック院長:水野圭司先生、有り難う御座いました。
6月17日木曜会献立
先付: わらび しどき もずく
八寸: 鴨ロース 芋海老塩付け かにつめ素焼 トマトチーズ焼 空まめ
焼物: 穴子煮 いり玉
向付: 鮪 鮃 帆立 うに
煮物: くだごぼう しのた巻き ゆば とりごぼう 青味
強肴: ほや木ノ目焼 白煮うど サーモンマリネ
吸物: 魚そうめん じゅんさい
温麺(冷)
(10/6/20日曜=父の日=分)
本日は、当院は内科系の休日当番医。昼過ぎに雷が鳴り夕立から雨となった。ここ二三日は曇天・雨天が続いたが、午前中は久し振りの日差しがあった。6・7月は、風邪も少なく一般的に内科診療所の新患患者数は減るものだが、本日は父の日で、また天候も関係しているのか、当院当番医での来院患者数は約30名と、過去最低となった。経済の低迷も影響しているのか、無料となる乳幼児が多い。来院した大人は、ぎりぎり市販薬でしのいで来た方も見られる。
余談だが、ここ一二年は、保険証が切り替わった方が多いようだ。社保から国保へが殆どで、逆は若い人を別にして非常に少ない。公立学校共済組合や市町村職員共済組合などの公務員さんは、保険証が他の保険に変わった方は、一例も見たことない。やはり公務員安泰である。
というわけで、本日は昼食(当番日に職員さんに配っている弁当と同じ)を摂る時間ができた。いつもは、蔵王町の洋食「くりや」(旧称:
グリーングラス)の弁当が殆どだが、今回は都合で白石市田町の和食「
えびす」の弁当となった。時々趣向を変えるのも良いものだ。
夕方のニュースでは、本日、白石市は最高気温30.4度の真夏日となったそうだ。
(10/6/21月曜分)
本日は、昨日が休日当番医だったので、振替休日となった。
自宅のガレージで、2回目の車検が完了したタスカンSのフロントウィンドウに、検査証票を貼ったり、タルガトップのフロントキャッチの調節をしたりと、平和に過ごせた。
(10/6/23水曜分)
午後6時45分に診療済ませて、診察着のまま午後6時45分から、
公立刈田綜合病院2階大会議室へと向かった。「第1回 刈田・中核 消化器症例検討会」が開催されたからだ。
刈田病院は、当院より1.8km先の丘の上(白石市福岡蔵本字下原沖36 )に見え、車で十分弱の近場である。公立刈田綜合病院消化器科の佐藤匡先生が司会をされ、症例検討会の後に、ミニレクチャー『
肝炎治療ガイドラインの解説と病診連携』があった。佐藤匡先生が座長となり、みやぎ県南中核病院消化器病センター長の三浦雅人先生が講演された。
三浦雅人先生は、私が刈田病院に勤務医をしていた15年〜20年前頃、刈田病院に出張して肝生検をやっていただいた肝臓病の大家の先生なので、なつかしかった。昨年4月より、みやぎ県南中核病院消化器病センター長に赴任され、肝炎を中心とした肝臓病の診療に活躍されている。
なお、主催は味の素製薬(株)「リーバクト顆粒」であった。「(株)シェフグループ・
レストランシェフ」のお弁当が出た。
(10/6/26土曜分)
午後より、「第62回
仙南六郡市医師会総会及び
講演会」 「
宮城県医師会医師研修講習会」があった。午後3時より、
亘理町中央公民館視聴覚室で開催された。
亘理町は、仙台から行くときは、仙台から国道4号経由し国道6号沿いに亘理町があるので分かりやすい。しかし、白石市から角田市経由で、東方へ阿武隈川を越え、峠を越えて太平洋側にでるルートは、通ったことがない。昔、白石市からよく通ったという看護師さんに聞いたら、道路は複雑で一時間は掛かるとのことで、一月前の土曜日午後にナビを頼りに予行演習してみたのだが、結構の道程と感じた。曲がり角が多く、とてもナビなしでは、たどり着けないのだ。
と思っていたら、白石市医師会のはからいで、白石市の希望者はジャンボタクシーでの送迎をしてもらえることになったので、ホッと致しました。
講演T:「
地元の小医学史─艮陵の教授たち─」。講演者の東北大学名誉教授:
櫻井 實(みのる) 先生、座長の角田市医師会 会長
笹森 紀男 先生、ありがとうございました。私は東北大学に在学したことないので(大阪医科大学卒)、大変興味深く聞かせていただきました。医学はは科学であり、常に物事を正確に観察する態度が、医学を志す者には根底として求められる。これは講演Tのキモでしょうね。以下に講演Tの「講演要旨」を転載させていただきます。
【「ごんりょう」という言葉は大正5年、当時第二代の総長であった北條時敬が東北大学医学部の学友会に対して冠した名称であるとされる。艮は東北の方向を表し、陵は小高い丘という意味で、首都から見た東北大学が東北方の学問の聖地として堅固な丘に建立されたことを象徴している。
当大学は研究第一主義を貫いてきたと言われるが、初代の教授たちは如何にして新しい医学に挑み、又、どのようにして医学を若者に教え込むか、その努力に徹した生きざまが風聞として同窓会員の間に伝えられてきた。
昭和62年、著者は蓄積しておいた物語を整理し「東北大学における医学教育の源流」という副題を付して出版した。爾来、多くの同門の方々から問い合わせがあったり、追加の隠れ話を教えて頂いたりしている。
文学者でもあった大田正雄(木下杢太郎)をはじめ、内科の山川章太郎教授の糖尿病患者の尿を学生に嘗めさせた話、燕尾服を着て講義をした解剖の布施玄之助教授、「教不厳師怠也」を実行した木村男也教授、聴診器を耳から外して診察してみせた文化勲章受章の結核の大家、熊谷岱蔵先生など、すごい医学者である一方、教育者として、実に愛情こまやかで、かつ極めてデリケートな芝居を演じながらの全人格的導きに努力を払っていたことが分かる。その他にも沢山のエピソードが残されているが本学の大きな遺産でもある。
現在の医学研究は細分化した医学の先端を社会福祉への配慮とは別な次元で教育の現場に持ち込む傾向が強い。昔はそれなりにのんびりしていたかもしれないが、今の医学教育との違いを反芻しながら、先達たちの教授たちの足跡を味わい、その教訓を理解してみることも、これからの善き医療の充足のために新鮮味を感じると思っている】
補足しますと、山川章太郎教授は、糖尿病患者の尿に人指し指を浸し、嘗めたのは中指だったそうです。偉い教授の前で緊張しており、偉い教授が自ら嘗めるのをみた学生達は、観察力が低下していたのか、尿に浸した同じ指を嘗めたものが多かったようです。熊谷岱蔵教授は、学生の前で患者さんを診察して見せながら、理学所見の取り方など診察方法の講義をした(臨床講義)あとに、学生に何か質問はないかと問い、一部の学生が「先生、聴診器が耳から外れてました」と答えると、「そうだ良く見ていた」と、褒めたそうです。
講演U:「
勤労者における労働さいがいの実際について」。講演者の宮城労働局労働基準部安全衛生課長:
菊地 清 先生、座長の宮城県医師会常任理事
板橋 隆三 先生、ありがとうございました。以下に講演Uの「講演要旨」を転載(一部ひらがなにて)させていただきます。
【わが国の労働さいがいによるししょう者数(休業4日以上)は昭和36年をピークに減少を続け、平成に入ってからもこの傾向は変わらず、平成元年の217,964人が平成21年には114,152人とほぼ半減した。しぼう者についても、昭和36年6,712人、平成元年2,419人、更に、平成21年は1,070人と大幅に減少した。過去においては、昭和38年の三井三池炭坑の爆発で458人がしぼうするなどの大さいがいが発生したが、近年は、炭坑を含め鉱山のほとんどははい鉱になり、これだけ多数の労働者が一度にしぼうすることはなくなった。
宮城県内においても、昭和45年のししょう者3,986人が平成21年には2,078人と半減し、しぼう者についても、同じく、82人が23人と3割以下にまで減少した。県内の労働さいがい多発業種は建設業で、昭和53年に白石市の道路改良工事て7人がしぼうし、その後も、昭和50年代に鳴子町、花山村の建設工事でそれぞれ3人がしぼうし、平成20年には岩手・宮城内陸地震により栗原市の道路工事で3人がしぼうした。
労働さいがいが減少してきた背景として数多くのししょう者を出した鉱山がはい鉱になったこともあるが、労働さいがいの多い製造業、建設業などの各事業所、現場において自主的安全衛生管理活動が実施され、設備、機械等のハード面、教育、職場点検などのソフト面の改善が進められたことにより労働さいがいは大幅に減少した。
この講習会において、これまでの労働安全衛生の動きを説明し、現在の取り組みの概要などを紹介することとする。】
講習会(日医認定産業医更新研修=労働安全衛生法の改正点・関連主要通達=シール1単位いただく)の後は、活発な質疑応答があり、やはり事業所の「ろうさいかくし」は、結局は民事も刑事も事業所の大ゾンとなるようだ。
懇親会:「
二の丸」の2階にて。亘理町海鮮風の皿鉢料理で、鉢(前菜盛り・刺身盛り・雲丹盛り・天ぷら盛り・寿司盛り・・最後に牛ステーキ盛り)がいくつもでて、たくさん食べられました。
帰路では、高蔵寺付近で蛍祭りやってました。